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■ 12ヵ字 ■

字小禄(おろく)

字田原(たばる)

字金城(かなぐすく)

字赤嶺(あかみね)

字安次嶺(あしみね)

字当間(とうま)

字鏡水(かがみず)

字大嶺(おおみね)

字高良(たから)

字宮城(みやぎ)

字具志(ぐし)

字宇栄原(うえばる)

宇栄原(うえばる)

▼ 参考文献「小禄村誌」▼

(1)沿革

 字宇栄原は「琉球国由来記」や「南島風土記」の記録では「上原村」とある。特に由来記では「上原村」と「松川村」にわけて記録がなされている。

 宇栄原の祖は、島尻の兼城村字兼城の幸地(屋号)であると伝えられ、天保がそこの次男、幸地が三男、アタイ(当)が四男であるらしい。天保から小禄の新地に分かれていき、後に新地の六男が天保の養子にはいった。その子が大添の祖となるのだと口碑にはある。また外間門中の祖にあたる外間の子が、国元の元祖となっているとも語られている。

 門中組織は、
    (1)天保門中 (2)幸地門中 (3)アタイ(当)金城門中 (4)新屋敷門中 (5)桃原門中 (6)西目番門中 (7)赤嶺門中 (8)金城門中 (9)外間門中 (10)大添門中 (11)新屋小門中 (12)赤嶺門中(松川) (13)波武多門中 (14)亀甲門中 (15)玉井門中 (16)新門門中 (17)倉下門中 (18)上金門中 (19)野原門中 (20)才順門中 (21)久保玉井門中
 などがある。

(1)(2)(3)はもとより(5)(10)(11)(12)(14)(15)(18)も兼城の幸地の子孫に当たると云われており、(8)の金城門中の祖は鹿児島県の黒木龍左衛門の子孫だという。

(2)戦前の状況

 農業が主であった。肥沃な土地にはキビが植えられ、それが成長して風に波うつ頃はこの部落の風情が最高に達する。

 このようにキビ作りが中心であったが、昭和元年に県立農業試験場が安次嶺で設置されたため、宇栄原での県外出荷用の蔬菜類栽培も盛んになった。

 そして昭和8年には宇栄原園芸組合が発足し、キャベツやトウガンも多く出荷されるようになった。

 「小禄間切口説」には次のような節がある。

    青年等(ニセタ)揃わい宇栄原や
     西も東も肝合ち
      互いに励むもたのもしや
 とあるように、一致協力して何事もやりとげるという面の強い部落であった。

また昭和4、5年頃までは村芝居が行われていたが、それ以降はいろいろな都合でやらなくなったと言われている。東の組踊「雪払い」や西の組踊「久志の若按司」は有名であった。

(3)戦後の状況

 昔は静かな実り豊かなところであったが、戦後は大嶺・安次嶺・当間・赤嶺などの屋敷や田畑を軍用地にとられて帰ることのできなくなった人たちが宇栄原に住むようになり、大きな変動をきたした。すなわち畑も宅地になったり、のどかな田園風景も日を追って少なくなったのである。

 昭和29年には西端を南北に走る道路は、軍道3号(現・国道331号線)として米軍占有道路となる。米軍基地の裏玄関第ニゲートも設けられ、また昭和27年には、軍道3号近くに住民と米軍人の摩擦解消のため「新開地新辻町」が誕生した。

 同29年4月には高良中学校と小禄中学校が合併して当地に移転したのである。同33年には黙認耕作地に出入りするための農耕パスの期限が半年から5年に延長され、同36年には地内中央を大きく蛇行するハーゲーラ川の鉄橋がコンクリート橋となり「さつき橋」と命名し、同38年小禄郵便局前から第ニゲートまでがアスファルト舗装される。

 地内には米人向け貸住宅が多く建設されていたが、昭和40年代には東部の緩かな丘陵地帯に公営住宅として宇栄原団地が建設されたのである。そして同49年までに1,000戸が出来て住宅地として発展し、特に昭和47年の本土復帰後は団地周辺の宅地造成が急速に進むなど、周辺の様相が一変し活況へと発展した。

 この部落の人たちの教育熱は戦前からさかんであったが、戦後も多くの人材を輩出した。

 特に戦前広く知られた人で大城兼義民がいる。氏は貴族院議員までなられた方である。戦前は、大城無尽会社を初め海外移民事業等を興した大実業家でもあった。それから氏は、鋤による牛馬耕の奨励で全県的運動を展開した人でもある。

 戦前戦後を通じて、宇栄原から5人の県議会議員が輩出したことは特筆するに値する。大城兼義氏、大城倫氏、大城清栄氏、大城正義氏、仲村正治氏(市議会議員2期・県議会議員2期・現在は衆議院議員2期日)の5人である。このことは、この字が戦前から政治意識の強い村であることの証左であろう。


宇栄原自治会

宇栄原団地自治会
沖縄タイムス「な〜ふぁ歩紀・その2」(平成14年4月9日(火)スクラップ)
那覇市「市営住宅室」ホームページよりリンク

2004.8.団地祭り

宇栄原ヌ御嶽(2004.12.19)

・「五月橋の由来
・「戦前の宇栄原地区」「現在の宇栄原地区

具志・宇栄原まーい
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