|
戦後・アメリカ世
1945年(昭和20)の敗戦後〜
▼ 参考文献「沖縄大百科事典」▼
|
■小禄の戦闘(おろくのせんとう)
1945年(昭和20年)4月1日から6月23日に終わった「沖縄戦(太平洋戦争末期)」における小禄村(現那覇市)・豊見城村を中心に布陣した日本海軍部隊の戦闘。
小禄海軍飛行場は建設後の拡張で、同飛行場は沖縄で最大規模となる。
サイパン玉砕後、米軍の沖縄進攻が必至となり、海軍兵力も遂次増強され、米軍上陸時(1945.4.1)には大田実海軍少将指揮下の沖縄方面根拠地隊の兵力は1万。
しかし世紀の兵員は1/3足らずで、大半は現地召集兵や防衛隊などで占めたうえ、陸軍第32軍への兵力投入もあって、実数はさらに少なかった。
第32軍司令部の首里撤退のさいの連絡の行き違いで、45年5月26日、海軍部隊は南部に移転したが、28日ふたたび小禄に戻る。そのさい重火器類を破壊したため、火力は著しく減少していた。
6月4日、米第6海兵師団第4海兵連隊は小禄海軍飛行場北側に上陸、大田少将は小禄の第951空戦闘指揮所に司令部を置いて指揮をとった。
5日、牛島満第32軍司令官から南部への撤退命令が出されたが、大田司令官は「最後まで小禄で戦う」と返電。
米軍の圧倒的な火力に押され、6日、司令部を豊見城村の海軍壕に移す。
7〜12日にかけて、斬り込みをかけるなど激戦を展開したが、12日に海軍部隊からの連絡は途絶、同日組織的戦闘は終わったとされ、翌13日、大田司令官は壕内でほかの幕僚とともに自決した。
(参)防衛庁防衛研修所戦史室編『沖縄方面海軍作戦』(1968)
資料リンク:出身地(小禄)字別戦没者数→01〜10・11〜20(沖縄県平和祈念資料館より)
■小禄新部落(おろくしんぶらく)
1953年(昭和28)戦後、米軍に土地を奪われた人々によって創建された集落。
安次嶺(あしみね)・鏡水(かがみず)・大嶺(おおみね)・赤嶺(あかみね)・金城(かなぐすく)はそのほとんどの土地を接収されたために土地組合を結成し、字小禄と田原(たばる)にまたがる約11.9haに部落を建て、500世帯が移住した。
■那覇市へ合併
1954年(昭和29年)9月1日、多年の懸案であった「那覇市」への合併が実現した。
↑戦後の小禄村図
■通貨「B円〜ドル」
「B円(ビーえん)」は米軍が発行した円表示B型軍票(Type“B”Military Yen)のこと。
1948年(昭和23)7月から58年(昭和33)9月までの10年間にわたり、沖縄で唯一の法定通貨として使用された。
その後、ドル通貨制へ移行したことにより、B円は沖縄経済から姿を消した。
「B円」とは…フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」よりリンク
「B円の写真」沖縄発 役に立たない写真集より
■ギブミー民族
■Aサイン業者
米軍人、軍属が店を利用しても良いという許可証の事で、APPROVED の頭文字からきているそうです。1953年から米軍人、軍属に対する飲食提供に関する衛生規定が始まり、MPが一軒一軒検査に来たらしいです。
「Aサイン」とは…沖縄発 役に立たない写真集より
■1号線(国道58号)
復帰前までは、1号線と呼ばれ、那覇から名護までが米軍の管理する「軍用1号」、名護から国頭村奥までが、琉球政府の管理する「琉球政府道1号線」と呼ばれていたそうです。
「国道58号」とは…沖縄発 役に立たない写真集より
■トゥバイフォー(2x4)
|
|