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琉球・唐の世
〜1878年(明治11)
▼ 参考文献「小禄村誌」▼
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天孫氏から第一尚氏迄の行政機構
1187年(文治3年)
1259年(正元元年)
1264年(文永一年)
琉球王府(第二尚氏)の行政機構
1470年
薩摩支配後の行政機構
1609年(慶長14年・尚寧21年)
津島氏の侵攻(慶長の役)により、これまでの中国交易による利益が津島氏に独占されることになった。
1673年(延宝元年・尚貞5年)
小禄村の前身である「小禄間切」は、真和志間切から3ヵ村(小禄・儀間・金城)を分割、豊見城間切から8ヵ村(赤嶺・安次嶺・当間・大嶺・具志・高良・宇栄原・宮城)を分割した計11ヵ村を合併し、小禄親方盛聖へ贈ったのが始まりであると記録されている。
その後、湖城・松川・田原・堀川という4ヵ村を新設し、計15ヵ村を包含する間切として掟8名を置き「小禄間切」が成り立っていた。
1744年(廷享元年)
1771年(明治8年)
1818年(文政元年)
1834年(天保5年)
1839年(天保10年)
1847年(弘化4年)
1857年(安政4年)
1859年(安政6年)
1860年(万延元年)
1868年(明治元年)
1872年(明治5年)
9月14日、遂にこれまでの琉球王国の名を改め、ときの尚泰王を藩主とする琉球藩が誕生した。
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