ガーナームイ
(ガーナ森・鶴頭山・鵞鳥森・鵝森・クジラ岩・くじら山)

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◆ 上原カメチヨ(屋号:西新地/ハワイ移民)さんが
1950(昭和25)年〜1970(昭和45)年ごろに撮影した
戦後の字小禄及び沖縄本島の風景より
ガーナームイが写っている箇所をカットしました。


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◆ 比嘉ブラザーズの「沖縄のマジムンと怪異展」(2018-8)にて写真を使用 ◆

◆ BSジャパン「ミステリアスジャパン
人を襲う森の伝説の放送(2017.6)にて写真を使用 ◆

◆RBC「琉球サウダーヂ
ふしぎ散歩(1)の放送(2016.7)にて写真を使用 ◆

◆ 豊見城市指定文化財の「イリヌシーサー」説明板に写真が掲載(2015.2) ◆

◆ 漫湖公園内の「漫湖ラムサール看板」に写真が掲載(2008.6) ◆

◆ 沖縄都市モノレール「ゆいレール」開業に伴い
北明治橋(壺川駅側)の史跡案内板に写真が掲載(2003.8) ◆

OTV沖縄テレビの取材、ニュース放送(2002.11)

1950年(昭和25)頃の「ガーナームイ」写真をクリックすると拡大されます。
▲1950年(昭和25)頃の「ガーナームイ」

写真は「上原正徳(屋号:仲前並里/ブラジル移民)」さんより寄贈

「奥武山(おうのやま)」と「ガーナームイ(右端の小島)」
▲「奥武山(おうのやま)」と「ガーナー森(ムイ)(右端の小島)」
参考文献「写真集.むかしの沖縄

▼ 参考文献「沖縄大百科事典

鵝森 ガーナー森(ムイ)

那覇市鏡原にある小丘。戦前までは奥武山の東の海中にあった小島で、名勝の地としてしられていた。

1719年(尚敬7)に渡来した尚敬王の冊封副使・徐葆光(じょほこう)は「奥武山の東に小尖阜(小丘)あり。鶴頭山(ガーナー森)と名づく。(中略)那覇市近所第一の勝処たり」と述べ、1800年(尚温6)に渡来した李鼎元(りていげん)も同じく称賛している。

現在は付近一帯が埋め立てられ、陸上の小丘となっている。また、ナハキハギ群落の北限として植物研究所上の要所でもある。市指定文化財(昭和49年(1974).12.)

標高約15m、面積約1300m2で、ほぼ東西に長くなっており、頂上はやや平らで、小さな拝所があり西側の登り口以外は急斜面になっている。

▼ 説明板
那覇市指定文化財 名勝・天然記念物/指定:1974(昭和49)年12月2日
説明板




昭和初期頃のガーナー森(ムイ)
▲昭和初期の頃
参考文献「小禄村誌
昭和63年(1988)の頃▼
昭和63年(1988)の頃(手前が那覇大橋・左端が小禄高校)
(手前が那覇大橋・左端が小禄高校)




▲1981.小禄高校付近の空撮




現在「能登の海」(鏡原町/那覇大橋近く)の裏側
小禄高校の西隣にあり、私たちは「クジラ山」と呼んでいた。


「ガーナー森(ムイ)」へ登ろう!!

うるくぬ んかしばなし「ガーナー森(ムイ)」

ガーナー森(ムイ)が泣いています
「那覇市教育委員会・文化財課」よりリンク
(リンク切れのためキャッシュをご覧ください)

週刊タイムス住宅新聞・第1362号(2012年1月20日)より

2012うるく再発見!

◆那覇市歴史博物館リンク
奥武山(右にガーナー森)
都市計画/埋立前の漫湖(壺川より小禄を望む)
那覇(航空写真)/山下交差点上空より
那覇(奥武山)/安謝川口から那覇全景・漫湖を望む
那覇(真和志市)/壺川付近より埋め立て前の漫湖
那覇(奥武山)/漫湖
古波蔵方面からみた奥武山

ガーナームイ_うるくニッポン(小禄日本)放送

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