沖縄県那覇市山下「ペリー」

ペリー区・山下町

ペリー内科小児科医院 山下町30-10 098-857-8751

ペリー美容室 山下町30-20 098-857-7740

ペリー保育園 山下町31-19 098-857-2765
ペリーアパート(旧:ペリー劇場)

ペリーもち屋 山下町28-36 098-857-4904

ペリーストアー 山下町26-3 098-858-8728

ペリー歯科クリニック 那覇市小禄421-29 098-858-4182
ホームページ

ペリー食道 那覇市小禄1-20-11 098-858-5400

ペリー酒販

ペリーの丘

ペリースーパー辻店 那覇市辻1-5-12 098-863-2753

ペリー劇場
ペリー劇場_うるくニッポン(小禄日本)放送
ペリー劇場 ←港劇場?『沖縄映画興行伝説』那覇市にあった映画館 PAGE:4('54〜'59)

ペリー市場
(カメラのたかちよ上原隆昭さん提供)
p2
p3

只今、整理中
下記内容は、Web検索にて調べた内容です。


4 沖縄県史ビジュアル版 近世@

「ペリーがやってきた」
〜19世紀にやってきた異国人たち〜

沖縄教育委員会 1999年3月19日発行

1853年にペリーが琉球に来航してから
1世紀半を迎えようとしています。

ペリーが琉球へやってきたという歴史は、
琉球とアメリカの関係を反映して、
ペリー来航100年記念祭をはじめとして
様々なところで琉米親善のために
語られてきました。

また、第2次世界大戦後、那覇市の山下町は
「ペリー町」にその名を替えました。

今でも「ペリー」と名のつく店や建物などを
山下町で見ることができます。

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空港から那覇の中心部に向かう途中、山下町という地区を通る。
この地区の一角ではやたらと「ペリー」と名がつく店が多い。

「ペリーもち屋」「ペリー内科小児科医院」
「ペリーストアー」「ペリー美容室」等々。

このペリーとは、紛れもなく黒船でやってきた、
あのペリー提督のことなのだが、なぜこの地区に
「ペリー」という名前が多いのだろうか?

実はこの地区は終戦前も山下町であったのだが、
終戦直後、軍政府政治部長の「山下は気に入らない。
ペリーにしろ!!」の一声でペリーになったという。

山下では、あの「マレーの虎」山下将軍を
思い出させるからであろう。

この「ペリー区」、1957年2月に琉球政府の通達により
戦後使われなくなっていた地名を戦前の地籍どおり呼ぶことになり、
元の山下町に戻ったのだが、今でも米軍支配の遺産が残っている。

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ペリー提督はアメリカの海軍軍人で1853年7月(嘉永6年6月)
日本を開国させようと東インド艦隊を率いて浦賀に来航し
大統領の親書を幕府に提出した。

翌年江戸湾に再び来航し横浜で日米和親条約を
結んだ事は良く知られているが浦賀に来る前に
実は沖縄にも立ち寄っている。

那覇市の小禄にはペリーと言い慣わしている
地域が今でも残っている。
(具体的にはどの場所を指すのか知らないが)
始めて沖縄に行った時、那覇市内で行き先にペリーと
書かれたバスが走っており随分変な地名だと思っていた。

地図で小禄の何処を探してもこのペリーの地名は見あたらない。
どうも通称名のようである。
ただ、山下町にペリーアパートと言う名のアパートが
有るのでその近くだと思っている。

その後ペリーのことが分かりましたので追記します。
やはり山下町のことをペリーと呼んでいたことが分かりました。
戦後、山下の町名が山下奉文中将を連想させることから
ペリーに改称されたという事で現在は元の山下町に戻っているそうです。

ただここはペリーの上陸地という訳ではなく
どういうゆかりでペリーと名付けられたかは
今のところ不明です。

なお、ペリーの上陸地は泊北岸で現在「泊外人墓地」内に
「ペルリ提督上陸の地」の記念碑がある。

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