うるくニッポン?って何 takara 投稿.2001/01/19.19:39
突然ですが、皆さんは「うるくニッポン(小禄は日本)」って聞いたことがありますか?
知ってる方がいましたら、どういう意味なのか教えて下さい。
はまだらかさん 投稿.2001/01/19.20:24
「うるくニッポン」って、五十代以上の年配くらいの人が、たまーに言いますよね。
わたしも、ずーっと「どーゆー意味じゃ?」と不思議に思ってました。
わたしは、話していた時のニュアンスからは
「うるくでも日本のうち」=「うるくはいなかー、だ」
というような、うるくを馬鹿にしたような意味に受け取ってました。
今どきのうるくんちゅが聞いたら「はー?」と怒るはず。
でも、わたしも本当のところの意味はよくわかってません。
那覇市民さん 投稿.2001/01/19.20:44
うるくんちゅーです。
うるくニッポンの話、子どもの頃何度も聞かされました。
こんな会話が交わされるほど、小禄はいなかーなんだよーっていう感じで。
A:「えー、うるくーや、ニッポンやがやー?(ねぇ、小禄ってニッポンなの?)」
B:「デンチのちちょーてぃ、ニッポンやさ(電気がついてるから、ニッポンだろ)」
方言は正しいかどうかわかんないです。お許しくだされ。
この会話を、めちゃめちゃなまって話すんですよ。
激しい糸満ムニーって感じで。
笑い話なのかなー?
でもでも、いまどきのうるくんちゅが聞いたら怒るのかぁ。
そっかぁ。
私が学生の頃は小禄っていったら、那覇の僻地としてかなりバカにされる存在だったんだけど、今は違うのかもしれないですね。
Gさん 投稿.2001/01/23.14:58
これ、最近夕方ラジオでも話題になっていました。
#タクシーの中でちょっと小耳に挟んだ程度なので、放送局などは知りませんが、ほんの数日前のことだったと記憶しています。
大変興味があります。
・戦後那覇空港に電気が点いたことに発しているのではないか、という良い意味、とも聞いたことがあります。(その番組では実際には遊郭だった辻に最初に電気が点った、とも言っていたように覚えています)
#でも電気は確か米軍により天願が最初に点った、とも聞きました。戦時中の話らしいです。
・小禄の方は独特なイントネーションで話される方が多かったので、それを未だ小禄村だった当時の那覇(地区)の人たちが小馬鹿にして
「うるくんちゅーは、でーじなむん。とーふうちくゎてぃ、ひやぷーぷー。」
などと言ったらしいです。
その頃小禄は明治橋が出来たことで那覇とくっついたために日本の仲間入りが出来た、というのです。(戦前からそう言われていたようです)
ちなみに小禄の方の独特のイントネーションはよく童謡の「村の鍛冶屋」と似ている、と言われますよね。
つまり
「わったーうるくの、せいねんだんはぁ」を
「ミ・ソ・ソ・ ソ、ド・ミ・ミ・ミ 」とあてはめるのです。
このようにイントネーションの違いを那覇(地区)の人々は小馬鹿にしたのではないか、というのです。
でも自衛隊関係者が多くなった現在では、貴重なイントネーションになりつつあるかも?
ずけらんさん 投稿.2001/01/23.18:08
高校生のころに、小禄出身の友人から後者(那覇市民さん)の意味だと習いました。
糸数@小禄在住さん 投稿.2001/01/23.18:35
親父からそーゆーふーに(那覇市民さん)聞いたことがあります。
小禄に電気が引かれたのが遅かったのかどーかは知りませんが、夜、灯りがないことからそーいってたそーです。
范さん 投稿.2001/01/23.22:13
過去の記事で以下のものがありましたので、引用します。
ずけらんさんと同じ意味なんですが、ご参考に。
>Subject: [nirai-kanai:11927] Re:小禄日本 Wed, 15 Dec 1999 12:36:13
>昔私が聞いたバージョンは次の通りです(あまり変りませんが)。
>おじさん1「うるくん 日本がやー、すー?」
> 「うるこー 日本がやー、すー?」
> #小禄「も」、でなく小禄「は」。
>おじさん2「でんきぬ ちかれー にっぽんやさ」
> 「でんきぬ ちかれー むる にっぽんやさ」
> #電気(電灯)が点けば、そら、みな(なべて)日本じゃわい。
>それに、「すー」とあるので、(おじさんどうしのように)対等な人の会話でなく
>子供が親父に聞いたような状況だと思い込んでいました。
新城さん 投稿.2001/01/24.09:52
「うるくも日本やがやー」は、確か沖縄芝居の台詞だったとか聞いたことがあります。
どんな芝居で、どんな内容か分からないのですが、ヒットした芝居だったのでしょうか。
その中の印象的な台詞として、ちょっとした流行語だったのでしょうね。
てるりんさん 投稿.2001/01/24.22:59
さて、超ローカルな小禄談話ですが、小禄日本は私が聞いているのは・・・。
1.戦前いち早く空港建設が行われ電気がついていたので、
「やっぱり小禄が日本だ!」というものです。
うるくんちゅが自慢でいったのか、他地区が褒め言葉でいったのか・・・。
2.上記の皮肉な言葉で
「小禄は日本かな?」:「うるくがニッポンやがやー?」
小禄があんまり遅れているのであそこは日本じゃないという意味ともいうそうです。
結構面白いですよね。
首里の「すい、だやー」とか・・・、
そういえば、地元の具志の「なやグシ」があります。
「変な癖」からきたダジャレで「癖」が「ぐし」と発音するからですね。
瀬底さん 投稿.2001/01/25.00:42
>・「小禄」を馬鹿にした言葉。
現在の那覇市は、
「那覇市(旧)」
「首里市」
「真和志市」
「小禄村」
の合併というのが、原因でしょうか?
#「うるくにっぽん」よりも「明治橋を超えたら那覇市じゃない」という
#ネタの方が、きいたことが多い
どみんご・しゃべすさん 投稿.2001/02/17.03:04
新しい情報を仕入れました。
知り合いの「うるくんちゅ」によれば、
沖縄で一番最初(?)に電気が通ったから「日本だ」といわれたそうです。
そこより「うるく日本」の言葉が生まれたと・・・。
・・・本当か??
長嶺さん 投稿.2001/02/22.18:36
うるくニッポンは芝居から
「うるくニッポン」は、先にいろいろな人が書きこみされたように、芝居のセリフから多くの人に知られるようになった言葉だと思います。
「うるこー、日本がやー、すー?」
「でんきぬ ちかれー むる にっぽんやさ」
という親子の掛け合いは、子ども心によく覚えています。
母(61歳)にも聞いたのですが、確か大宜味小太郎さんが主演していた芝居だったそうです。
残念ながらタイトルは覚えていませんでした。
友寄さん 投稿.2001/03/03.12:40
役者の北村三郎氏に問い合わせたところ、
「もしかしたら小禄言葉を使った「三村踊り」と云うお芝居の中で、アドリブで使ったかもしれない」
と云うことで、この台詞の入ったお芝居は記憶に無いとの事です。
高良通鈍さん 投稿.2001/05/16.19:51
私もはっきりしたことは分かりませんので、推測で申し上げます。マユツバで聞いてください。
小禄の話し言葉のイントネーションが、他の地域のそれと比べると、極端に違うところから
「ウルコー日本ガヤースー・・」
「ウルクンチョーデージナムン・・」
「小禄青年団ミーガー毛ーにう集合・・」
私が知らないだけで、他にもまだ色々あると思います。
これは私の独断ですが、言葉のイントネーションの面白さから言うと、沖縄ではダントツです。その面白さを、他の地域に紹介するために、芝居等で、取り上げられたものと思います。
私も高校生の時に、クラスのみんなの要望で、国語の本を、小禄なまりで朗読させられました。現在と違い娯楽の少ない時代で、クラスに大うけしました。
話は長くなりましたが、問いに対する答えは、こういう風に言うと小禄なまりが真似しやすいという決まり文句やキャッチフレーズみたいなものの中に、たまたま「ニッポン」という言葉が出てきたところから、小禄な事を俗に「ニッポン」とネーミングされたと思います。
また、小禄(旧小禄村)の人のことを悪く言う話が各地にあります。これまでに記述した決まり文句の中には、そういったフレーズが確かに見受けられます。
この二つ(イントネーションの面白さと、小禄の人に対する皮肉)が組み合わされ出来た言葉だと思います。
那覇市教育委員会 文化財課より引用 2001/11/09
歴史博士 ふるづかだるまの四方山話「電気の光(でんきのひかり)」
むかしの那覇(現在の那覇港東側の一帯)から、小禄(おろく)の我が家へ帰ろうと、ガジャンビラ(ガジャンは、蚊。ヒラは、坂)を登っていた農家の父子。
子供がふと振り返ると、那覇のまちには電気の光がまぶしい位に瞬いておりました。逆に、帰ろうとする小禄は、漆黒の闇。思うに、那覇と小禄では言葉も違う。
那覇には、大和人(ヤマトォンチュ=他府県人)もたくさんいて、那覇人(ナーファンチュ=那覇の人)の暮らしぶりも、大和人と変わらない。なのに、小禄は…。
「エー、ウルクーヤ、ニッポンヤガ、スー?(ねぇ、小禄は日本なの、お父ちゃん?)」
国場川を1本はさんだたけなのに、どうしてこんなに違うのか、子供はお父ちゃんに尋ねました。
すると、「ディンキヌ、チカレー、ニッポンドー…(電気のついているのが、日本だよ)」なんだそうです。
この台詞、小禄特有の上下に激しく揺れ動く(?)イントネーションで話すのがコツですが、お聞かせできないのが残念!
戦後の廃虚の中、人々に明るい笑いを取り戻してもらおうと活躍した、小那覇舞天(おなはぶーてん)さんのお芝居に登場する逸話です。
父親の台詞の余韻に、小禄=沖縄人(ウチナンチュ)の心意気が見え隠れしているように思います。
ところで、電気が今のように各家庭に普及するようになったのは、そんなに遠いむかしのことではありません。
先のお芝居も、設定は昭和初期のこと。ほんの40年位前からです。
しかも当初、電気の供給は、夕方から宵の口までと限られていたそうです。
さらには、台風は当然ですが、訳もなく突然の停電が日常茶飯時。今では考えられません。
ですから、どこの家でも、電気がつくようになっても、ランプは捨てずにおいてあったそうです。
ランプの“ほや(火を灯す部分)”を磨くのは、手の小さな子供たちの役目。いつ停電になってもよいように、怠りなく磨いておいたそうです。
ここで気付いたのですが、当時は、電気=電灯。他の家電製品は、皆無といっても過言ではありませんでした。だから、電灯を灯すのに「ヒーチキレー(火をつけて)」なんて言うのです。
そういえば、電気料の請求書を見ると、うちは今だに「従量電灯」を使っています。
琉球新報より 2002年4月18日(木)朝刊
ティータイム「電灯と小禄日本」スクラップ
匿名希望さんより 2003年5月30日 9時11分
小禄の犬は「わんわんわん わんわんわん」
小禄の言葉は変に高低差があるので、そこに住む犬も上がったり、下がったりして泣くという意味
小禄なまりイントネーションの例(^^?
高良じじーさんより メール.2004/10/18 05:18
ブラジルのうるくん人で八十路にたどり着く高良じじーです。
うるく日本興味深く読みました、種々の説や芝居うんぬんまであるが、ねたを芝居に利用しているだけと思う、大正の半ばから昭和の初め頃、うるくん人の村会議員と他ムラ議員との議論でうるくん人に追いつめられ、ウルコー日本ガヤースーと冗談めかして揶揄され、デンキヌチカトークト日本ヤサと応じたのが、イントネーションの良さと相まって沖縄全体に広まったと聞きました。
沖縄の玄関那覇に隣接した小禄は文明開化も早く、いち早く電気が引かれたのは人口も多い上経済力もあったからと思う、ウルク日本を誇りとします。
ウルク言葉の消滅残念、ナガユンタクごめん。
週刊レキオ編集部 赤嶺さんより メール.2007/1/12 17:27
下記内容は、私が週刊レキオへ「小禄日本って何?」を調査依頼し編集上の都合で紙面掲載できなかった調査結果を
編集部の担当から許可を得ましたので掲載しました。
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那覇市史・那覇の民俗には「昔垣花に精神病患者がいて、その人がかかるコトバを
吐いた」というようにありました。
崎間麗進先生によると、那覇人の口の悪さからきているとのことでした。久米や泊
の住民にも「ビラビラー」「マース」などといじわるに呼んでいたようです。「たっ
くるす」などの過激な方言はほとんどが那覇方言からとのことでした。
高良さまのホームページに、ブラジルの方からの報告がございましたが、あれも可
能性大です。もし、戦前に移民に行った方ならば沖縄にずっと住んでいた者よりも、
それが残っているかもしれません。
取材中に「小禄共和国」「小禄中心」という、言葉も聞きました。これは戦後にで
きた可能性が高いようです。
全県に広まったのは、芝居で間違いないようです。大宜味村出身の小禄南図書館分
館長によると、「小さいころに喜如嘉で見た芝居で、言っていた」ということでし
た。館長と同年代の大宜味村役場の方も「芝居で聞いた」とのこと。誰のどの芝居か
までは分かりませんでした。また、小禄で公演する場合は、うるく日本のくだりは外
していたようです。
「那覇市立小禄中学校 創立30周年記念誌」昭和55年10月19日発行より引用 2008/07/27 New!
小禄といえば「ウルコーニッポガヤスー」という、ウルクドゥウアザ(字小禄)の独特の語調を思い浮かべるのが
普通である。
しかし、そのコトバは人口にかいしゃしているわりには、どういう意味なのか、いつの時代に誰が言ったのか明らかにされていない。
沖縄に電灯がついたのは、明治44年(1911)年12月、通堂町の宿舎と電気会社の付近からはじまったといわれている。
その後、恐らく那覇、首里、真和志、小禄へとひろがったと思われる。
那覇、真和志、首里は、小禄に先んじてヤマト(大和)同様に電灯がついているのに、小禄にはついていない。
つまり、那覇、首里は「ニッポン」になっているが、電気のついていない小禄は「ニッポン」にはなっていなかった。
その辺から「デンキヌチカトーレーニッポヤサスー」(電気がついておれば日本だよ)になったのではないだろうか。
そこには、首里、那覇人の地方(田舎)に対する一種の差別感が漂っているのは否めないだろう。
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