2006年(平成18)11月12日(日)
(00).武富門中(ダキドゥンむんちゅー)
ム−トヤー(本家)、集合・出発
(01).与那原親川(ウエーガー)/与那原町与那原
天女が御子の産湯に使ったと伝えられる井戸跡
与那原町立綱曳資料館/リンク
(02).テダ御川(てだうっかー)/南城市知念知名
太陽の名を冠する聖なる泉で、王府時代の重要な聖地のひとつ
知念岬 灯台 燈台 東海岸/リンク
(03).斉場御嶽(セーファーウタキ)/知念村
世界遺産/リンク
(04).受水走水(うきんじゅはいんじゅ)/南城市玉城字百名
琉球での稲作発祥の地と伝えられる聖地/リンク
(05).浜川御嶽(はまがわうたき)/南城市玉城字百名
琉球の開びゃく神、アマミキヨが仮住まいをした聖地/リンク
(06).ヤハラヅカサ南城市玉城字百名浦原地先
干潮時に姿を見せる、琉球開びゃく祖神、アマミキヨの上陸地/リンク
(昼食) 知念岬公園
(07).大城神屋?民家?
(08).仲村渠樋川(なかんだかりヒージャー)/南城市玉城字仲村渠
沖縄の伝統的な集落に見られる用水施設を代表する石造井泉/リンク
(09).ミントングスク/南城市玉城字仲村渠後根
グスクロードにある琉球開びゃくの祖アマミキヨが住み着いた場所/リンク
(10).名嘉屋?民家?
(11).?民家?玉城赤嶺元祖?
(12).奥武島観音堂/南城市玉城
奥武島の中央に位置する奥武観音堂は、約370年前、島の人々が漂着した唐船を救助し、お礼として贈られた観音像を祭ったもの。戦争で像も建物も焼失し、現在のものは新しくなっているという。
(13).武富門中(ダキドゥンむんちゅー)
ム−トヤー(本家)、到着・解散
門中拝所巡り「東御廻り」「今帰仁上り」の由来
先祖崇拝の島といわれている沖縄には、今も祖先をあがめ、祖霊に祈願するという行事が多い。
門中の定期的な「東御廻り(アガリウマ−イ)」「今帰仁上り(ナキジンヌブイ)」などの拝所巡礼、ユタと呼ばれる霊能者や、一般それぞれの「御願廻り(ウガンマ−イ)」(拝所祈願)もその行事の一つ。
国王の巡礼が始まり
沖縄本島の門中行事は古い時代から継承され、現在も門中それぞれの日取りで行われている。
「東御廻り」の「東」、「今帰仁上り」の「上り」(ヌブイ)は、昔の地域通称から出た語だといわれる。
昔の首里を中心に沖縄本島を三地域に分け、東方、下方、上方と通称していた。
東方は大里、佐敷、知念、玉城方面、下方は喜屋武、摩文仁などの南部島尻方面、上方は首里以北である。
この地域呼称から東方巡礼を「東御廻り」、今帰仁方面の巡礼を「今帰仁上り」と呼ぶようになったという。
門中を見習って祖神詣で
門中は、始祖を同一とする血縁者(父系)の集団で、それぞれの祖先の祭祈を主行事としている。
定期的に始祖をまつったム−トヤー(本家)を参拝したり、門中墓の墓前に集まって祖先の供養をしたり、一族にゆかりのある拝所や旧跡を巡拝したり、というものだ。
その他に「東御廻り」「今帰仁上り」があるわけだが、これは門中多数の共通行事となっていて、国王や聞得大君の東方巡礼を見ならったものとされている。
東方の知念、玉城は、沖縄の祖神アマミキヨが居住したところ、又、麦、栗などの五穀や稲が最初に栽培されたところといわれ、その居住跡や栽培地は、古くから聖所として住民に崇拝されていた。
伝説によると、アマミキヨは知念村の離島、久高島に天降りし、舟で本島玉城の海岸に渡って海辺に居住していたが、しだいに陸上に移動して城をかまえ、国の基礎を築いたという。
一方、麦、栗などの五穀が最初に栽培されたのは久高島で、稲作は知念大川附近や玉城村の受水、走水から始まったとされている。
王府の重要行事
これらの伝説は王府にも重視され、国王や聞得大君の東方巡礼もこの伝説に基づいたものであった。
国王の巡礼は始まったのだが、古い時代には、これは王府の重要行事となっていた。
五穀や稲の発祥地で、祖神にその初穂を捧げ感謝する、という祭が主目的だったが、しだいに、祖神の居住地やこの地(東方)から出た第一尚氏王統関係の拝所なども巡礼するならわしとなった。
国王のこの巡礼は後世になって変わっていく。
毎年巡礼が隔年になり、1673年には経費節減の理由で直参が廃される。
以後、下庫理当という役職の人などが代参するようになった。
しかし、王家では廃藩置県まで続き、中城御殿は戦前まで行っていたという。
◆2006東御廻い国際ジョイアスロンin南城市-公式ホームページ-
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